2008.09.02
ニャバクラ体験記。
大学の仲間と、吉祥寺にある猫カフェ、「きゃりこ」に行ってきた。
猫が好きなわりにまったく知らなかったのだけれど、ここは実はとても有名な猫カフェであるそう。とりわけ土日には混雑し、予約を入れなければ入店できないほど盛況なのだそうである。
幸い、本日は月曜日だったために、予約なしでもすんなり入れたわけだが、それでも、店内にはたくさんの先客がいた。
店に入ると、まず店員さんから番号の振られたカードを渡される。この店は1時間800円の時間制であるため、カードの番号によって入店時間を管理しているのだ。
カードを渡されると、次は手洗いである。普通のハンドソープで洗った後、アルコールで手を消毒する。
手洗いが終わると、いよいよ猫と戯れることができる。
「きゃりこ」には、全部で28匹の猫がいるそうである。その猫たちが、店内を所狭しと、我が物顔で歩き回っている。嫌がっているのに無理強いしたりしなければ、猫に触るのは自由だ。ただし、体力のない子猫は、抱っこが禁止されている。フラッシュを焚かなければ写真撮影もO.K.。
我々の行った時間帯が悪かったのか、そもそも猫だから仕方がないのかはしらないが、大人の猫たちはものの見事に眠りこけていた。舌をしまい忘れて眠っているものさえいた。寝ている猫を起こしてはいけないので、これらの猫は眺めて楽しむ以上のことはできなかった。
一方、子猫たちは元気に飛び回っていた。前述の通り抱っこはできないが、じゃりどもには猫じゃらしが威力を発揮した。一匹が反応すると、じゃれているその一匹に反応して別のが飛び掛ってくる。最終的に猫同士の取っ組み合いになったりした。そういうのは見ていて楽しい。
ちなみに、店には常連さんもかなりいて、そういう人たちの猫じゃらしさばきには目を見張るものがある。僕の振る猫じゃらしに反応しなかったものまで、見事に手玉に取ってしまうのだ。下手な動物学者より、彼女らはずっと、猫の習性を熟知しているように思えた。
店内は完全に猫のペースで動いているので、なかなか存分に戯れられない場合も確かにある。でも、そこに猫がいて、その中でくつろぐというのは実に幸福なことである。店内にはソファや座椅子が置いてあって、本棚には漫画がならんでいるので、まるで自宅にいるかのような感覚で、猫のいる時間を楽しむことが出来る。猫好きインドア派にはたまらない場所なのである。
僕は本当は猫アレルギーなので、高い金を払ってアレルギーの薬を買って飲んでおいたのだが、それをするだけの価値のある1時間を送ることができた。
みなさんも、吉祥寺にお越しの際には、ぜひ「きゃりこ」にお立ち寄りを。







きゃりこの猫たち。
きゃりこのウェブサイトはこちら

猫が好きなわりにまったく知らなかったのだけれど、ここは実はとても有名な猫カフェであるそう。とりわけ土日には混雑し、予約を入れなければ入店できないほど盛況なのだそうである。
幸い、本日は月曜日だったために、予約なしでもすんなり入れたわけだが、それでも、店内にはたくさんの先客がいた。
店に入ると、まず店員さんから番号の振られたカードを渡される。この店は1時間800円の時間制であるため、カードの番号によって入店時間を管理しているのだ。
カードを渡されると、次は手洗いである。普通のハンドソープで洗った後、アルコールで手を消毒する。
手洗いが終わると、いよいよ猫と戯れることができる。
「きゃりこ」には、全部で28匹の猫がいるそうである。その猫たちが、店内を所狭しと、我が物顔で歩き回っている。嫌がっているのに無理強いしたりしなければ、猫に触るのは自由だ。ただし、体力のない子猫は、抱っこが禁止されている。フラッシュを焚かなければ写真撮影もO.K.。
我々の行った時間帯が悪かったのか、そもそも猫だから仕方がないのかはしらないが、大人の猫たちはものの見事に眠りこけていた。舌をしまい忘れて眠っているものさえいた。寝ている猫を起こしてはいけないので、これらの猫は眺めて楽しむ以上のことはできなかった。
一方、子猫たちは元気に飛び回っていた。前述の通り抱っこはできないが、じゃりどもには猫じゃらしが威力を発揮した。一匹が反応すると、じゃれているその一匹に反応して別のが飛び掛ってくる。最終的に猫同士の取っ組み合いになったりした。そういうのは見ていて楽しい。
ちなみに、店には常連さんもかなりいて、そういう人たちの猫じゃらしさばきには目を見張るものがある。僕の振る猫じゃらしに反応しなかったものまで、見事に手玉に取ってしまうのだ。下手な動物学者より、彼女らはずっと、猫の習性を熟知しているように思えた。
店内は完全に猫のペースで動いているので、なかなか存分に戯れられない場合も確かにある。でも、そこに猫がいて、その中でくつろぐというのは実に幸福なことである。店内にはソファや座椅子が置いてあって、本棚には漫画がならんでいるので、まるで自宅にいるかのような感覚で、猫のいる時間を楽しむことが出来る。猫好きインドア派にはたまらない場所なのである。
僕は本当は猫アレルギーなので、高い金を払ってアレルギーの薬を買って飲んでおいたのだが、それをするだけの価値のある1時間を送ることができた。
みなさんも、吉祥寺にお越しの際には、ぜひ「きゃりこ」にお立ち寄りを。







きゃりこの猫たち。
きゃりこのウェブサイトはこちら

2008.08.31
千葉滋賀佐賀っ
しばらく前に流行ったような気がするけれど、最近何故か自分の中で人気再燃しているラーメンズ。
千葉滋賀佐賀。
新橋。
彼らは間の取り方や抑揚の付け方がとても上手くて、文字にしてみるとまったく面白くないことで笑いをとってしまう。このふたつはその代表例である。これ、僕やあなたが真似しても絶対に面白くない。こういうのを、プロの技というのだと思う。
千葉滋賀佐賀。
新橋。
彼らは間の取り方や抑揚の付け方がとても上手くて、文字にしてみるとまったく面白くないことで笑いをとってしまう。このふたつはその代表例である。これ、僕やあなたが真似しても絶対に面白くない。こういうのを、プロの技というのだと思う。
2008.08.30
死と孤独。
「もし、自分が死ぬとしたら、どんな風に死にたい?」
と、彼女は言った。
「えっ。そうだな・・・」
唐突な質問に驚きつつも、僕は答えた。「誰にも気づかれずに、ひっそりと死にたいと思うよ。僕は。自分が死ぬことで周りに迷惑をかけるなんてまっぴらだし、まして誰かが涙を流すなんて絶対にごめんだ」
言い終わってから、彼女の顔を覗き込んだが、彼女はすぐには答えず、黙り込んだ。しばらくしてから、彼女は口を開いた。
「・・・幸せなんだね、君は」
「幸せ?」
彼女の言わんとすることがわからなくて、僕は戸惑った。「誰にも気づかれずに死にたい、と思うことが、幸せ?」
彼女は肯いた。
「だってそうでしょう? 誰にも泣いて欲しくないなんて、自分が死んだ時に泣くかもしれない人の顔が、すぐに思い浮かぶ人にしか言えないセリフだよ。そんな顔をひとつも持っていない人だって世の中には大勢いるのに、君は持っている。だから幸せなんだよ」
僕は、意表をつかれた思いで、彼女を見た。
「そんなこと、考えたこともなかった」
僕の呟きに肯いて、彼女は続けた。
「私は、死ぬときにはみんなに気づいてもらいたいもの。私という人間が、ここに存在したんだってことに。だって、今まで私は、ほんとうに、ほんとうに、誰にも気づかれずに生きてきたのよ。死ぬときにまで誰にも気づかれなかったら、私の存在した事実は、どこにも残らなくなっちゃうじゃない。そんなの、絶対にいや。せめて最期くらい、人々の目について死にたいわ」
震えた声で語られる彼女の言葉を、僕はただじっと聞くことしかできなかった。彼女の抱える孤独は、僕には計り知れないほど深かったのだ。彼女はずっと長い間、その闇の中でひとり震えていたのだ。
「ねぇ、**君」
彼女が、顔を上げ僕の方を向いた。「あなたは、覚えていてくれる? 私が、ここでこうして生きていたってこと」
「覚えているよ」
と、僕は言った。「忘れない」
「ありがとう」
と彼女は言った。しかし、僕の言葉で本当に安心したかどうかはわからなかった。
彼女が死んだのは、その2日後だった。校庭の隅に倒れているのを、朝練に来ていた野球部の生徒に発見された。死因は頚椎骨折による脊髄損傷。屋上からの投身自殺だった。
それからしばらく、学校は、彼女の話で持ちきりだった。学校側は情報を抑えようとしていたが、女生徒が自殺したというニュースは学校中を駆け巡った。何度かテレビ局も訪れた。
しかし、ある期間が過ぎると、人々の記憶から、彼女は急速に忘れ去られていった。花束の置かれていた机は撤去され、まるで彼女などはじめからいなかったかのように、日常は流れていった。彼女が輝きを放った数少ない分野である国語と美術の時間にさえ、思い出が語られることはなくなった。
ヴィーナスの胸像をスケッチしながら、僕は、彼女が最後に喋った言葉を思い出していた。人の目につくところで死にたいと彼女は言い、実際、そのような場所で死を選んだ。人々に、自分の存在を知らしめるために。彼女の目論見はしかし、成功することはなかった。多くの生徒が、彼女の最期を目にしたはずだけれど、その目撃者の記憶にすら、彼女はとどまることができなかったのだ。
最期まで、暗闇の中から抜け出ることのできなかった彼女を思うと、胸が痛くなった。もっと真剣に、彼女の言葉に向き合うべきではなかったのかと、自分を責める気持ちにもなった。
おそらく、彼女が正しかったのだ。自分のために涙を流してくれる人がいることが、誰かの記憶に留まれることが、どれほど幸せなことか、彼女は身をもって教えてくれた。
「誰にも泣いて欲しくないなんて、自分が死んだときに泣くかもしれない人の顔が、すぐに思い浮かぶ人にしか言えないセリフだよ」と彼女は言った。それはまったくその通りだった。僕はその顔を思い浮かべることができた。確かに僕は幸せ者だった。それは、当たり前のことのように思えるけれど、得がたいことなのだ。
彼女と言葉を交わしていなければ、そのことには気づけなかったかもしれないと、僕は思った。彼女の死は、その意味では、大きなものを残していったと言えるかもしれない。
「覚えていてくれる?」と、最後に彼女は言った。僕は改めて、「忘れない」と胸のうちで告げた。そして、彼女のために、涙を捧げようと思った。
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と、彼女は言った。
「えっ。そうだな・・・」
唐突な質問に驚きつつも、僕は答えた。「誰にも気づかれずに、ひっそりと死にたいと思うよ。僕は。自分が死ぬことで周りに迷惑をかけるなんてまっぴらだし、まして誰かが涙を流すなんて絶対にごめんだ」
言い終わってから、彼女の顔を覗き込んだが、彼女はすぐには答えず、黙り込んだ。しばらくしてから、彼女は口を開いた。
「・・・幸せなんだね、君は」
「幸せ?」
彼女の言わんとすることがわからなくて、僕は戸惑った。「誰にも気づかれずに死にたい、と思うことが、幸せ?」
彼女は肯いた。
「だってそうでしょう? 誰にも泣いて欲しくないなんて、自分が死んだ時に泣くかもしれない人の顔が、すぐに思い浮かぶ人にしか言えないセリフだよ。そんな顔をひとつも持っていない人だって世の中には大勢いるのに、君は持っている。だから幸せなんだよ」
僕は、意表をつかれた思いで、彼女を見た。
「そんなこと、考えたこともなかった」
僕の呟きに肯いて、彼女は続けた。
「私は、死ぬときにはみんなに気づいてもらいたいもの。私という人間が、ここに存在したんだってことに。だって、今まで私は、ほんとうに、ほんとうに、誰にも気づかれずに生きてきたのよ。死ぬときにまで誰にも気づかれなかったら、私の存在した事実は、どこにも残らなくなっちゃうじゃない。そんなの、絶対にいや。せめて最期くらい、人々の目について死にたいわ」
震えた声で語られる彼女の言葉を、僕はただじっと聞くことしかできなかった。彼女の抱える孤独は、僕には計り知れないほど深かったのだ。彼女はずっと長い間、その闇の中でひとり震えていたのだ。
「ねぇ、**君」
彼女が、顔を上げ僕の方を向いた。「あなたは、覚えていてくれる? 私が、ここでこうして生きていたってこと」
「覚えているよ」
と、僕は言った。「忘れない」
「ありがとう」
と彼女は言った。しかし、僕の言葉で本当に安心したかどうかはわからなかった。
彼女が死んだのは、その2日後だった。校庭の隅に倒れているのを、朝練に来ていた野球部の生徒に発見された。死因は頚椎骨折による脊髄損傷。屋上からの投身自殺だった。
それからしばらく、学校は、彼女の話で持ちきりだった。学校側は情報を抑えようとしていたが、女生徒が自殺したというニュースは学校中を駆け巡った。何度かテレビ局も訪れた。
しかし、ある期間が過ぎると、人々の記憶から、彼女は急速に忘れ去られていった。花束の置かれていた机は撤去され、まるで彼女などはじめからいなかったかのように、日常は流れていった。彼女が輝きを放った数少ない分野である国語と美術の時間にさえ、思い出が語られることはなくなった。
ヴィーナスの胸像をスケッチしながら、僕は、彼女が最後に喋った言葉を思い出していた。人の目につくところで死にたいと彼女は言い、実際、そのような場所で死を選んだ。人々に、自分の存在を知らしめるために。彼女の目論見はしかし、成功することはなかった。多くの生徒が、彼女の最期を目にしたはずだけれど、その目撃者の記憶にすら、彼女はとどまることができなかったのだ。
最期まで、暗闇の中から抜け出ることのできなかった彼女を思うと、胸が痛くなった。もっと真剣に、彼女の言葉に向き合うべきではなかったのかと、自分を責める気持ちにもなった。
おそらく、彼女が正しかったのだ。自分のために涙を流してくれる人がいることが、誰かの記憶に留まれることが、どれほど幸せなことか、彼女は身をもって教えてくれた。
「誰にも泣いて欲しくないなんて、自分が死んだときに泣くかもしれない人の顔が、すぐに思い浮かぶ人にしか言えないセリフだよ」と彼女は言った。それはまったくその通りだった。僕はその顔を思い浮かべることができた。確かに僕は幸せ者だった。それは、当たり前のことのように思えるけれど、得がたいことなのだ。
彼女と言葉を交わしていなければ、そのことには気づけなかったかもしれないと、僕は思った。彼女の死は、その意味では、大きなものを残していったと言えるかもしれない。
「覚えていてくれる?」と、最後に彼女は言った。僕は改めて、「忘れない」と胸のうちで告げた。そして、彼女のために、涙を捧げようと思った。
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2008.08.21
富士登山エッセイ編
8月20日の晩から21日にかけて、獣医学科の仲間と富士山に登ってきた。我々は今年4年となり、秋からは、それぞれ異なる研究室に配属されるため、全員が揃って迎えられる夏は今回が最後になる可能性が高い。ならば、最後の思い出作りに、みんなで共通の苦行に挑もうではないか、と発案された企画である。
最後の思い出、といっても実は参加したのは男子だけ。なぜなら、富士山は日本三霊山のひとつであり、寛永12年まで、女人禁制の山だったからである・・・というのは嘘で、これは単に発案者(僕ではない)の人望によるところである。
仲間内に、何度も富士に登ったことのある猛者がいたために実現可能となった今回の企画であるが、僕にとってははじめての富士登山となった。
初めての富士登山の感想は、簡単に言えば、「しんどい」だった。より厳密に言うと、「想像以上にしんどい」である。
これまで、僕は富士山の登ることが、それほど大変なことだとは思っていなかった。アウトドアショップでは、「軽登山」の部類に分けられているし、ツアーがいくつも組まれている。それに子どもでも登頂できるという話もしばしば耳にする。そのため、僕は富士山を、まあ気楽に登れる山だろうと思い込んでいたのである。
しかし、実際は違った。富士登山は、大変な苦痛を登山者に強いる厳しいものであった。
足場の悪い岩場と、ときに四つんばいにならなくてはいけないほどの急峻な上り坂。それが5合目から頂上にかけて、高さ1400mに渡って続くのだ。おまけに空気はとても薄い。7合目あたりから悲鳴をあげ始めた足と肺と心臓は、頂上にたどり着くまで、途切れることなく叫び続けていた。途中で足を攣らなかったのは奇跡だと思う。
しかし、なにより厳しかったのは、寒さであった。
標高3773mの富士山は、地上に比べてぐっと気温が低く、我々が登っていた夜間には、6度程度にまで低下するのだそうである。この寒さが、もっとも強烈に、我々の体に襲い掛かった。歩いているときはそれほどでもないが、休憩のため立ち止まると、あっという間に体が冷えていく。山頂にいくほど強く吹きつける風が、体温の低下に一層の拍車をかける。(冬用の衣服を着ているにもかかわらず)10分ほどじっとしているだけで、歯の根が合わずガチガチ音を立てるようになるほどであった。
寒さは、ただ体温を奪うだけではなかった。体温が下がると、発熱のために余計にエネルギーが使われる。また、体が思うように動かないため、変な風に力を使って体力を消耗する。気温が低いというだけで、疲労の蓄積するスピードが一挙に高まるのだ。ただでさえしんどい富士登山は、寒さによって一層厳しいものに変わるのだった。
途中で、何度くじけそうになったことか。夜10時の登山開始から7時間をかけ、頂上にたどり着いたときには、我々は(少なくとも僕は)ほぼ満身創痍と言ってもいいくらいの有様になっていた。山頂で御来光を待つ間、僕は「二度と来るものか、二度と来るものか」と、恨みの言葉を吐き続けていた。
だが、山頂で与えられた褒賞は、その苦行を帳消しにしてなお余りあるほどのものであった。
直前で立ち込め始めた靄を心配しながら待った御来光は、実に美しかった。雲海を抜け、黄金色の輝く太陽が顔をのぞかせた瞬間、すべての苦行が報われたような気持ちになった。それは、未だかつて見たことのないほどの、美しい日の出だった。
そして、太陽が引き連れてきた朝は、夜の間、闇の中に身を潜めていた鮮やかな色彩を、我々の眼前に引き出してくれた。眼下に広がる雲海と、その下に茂る樹海。透きとおった空の青と、燃えるような山肌の赤。様々な色が重なり合って作り出された壮大な景観は、見るものを一瞬にして魅了した。
陽が登る直前まで、そこに来たことを後悔していたはずの僕は、これらの光景を目にした瞬間、「来てよかった」と心から思ったのだった。
苦労の末に、幸福を掴んだこの登山は、確かに、またとないよい思い出として、僕の胸に刻みつけられたと言える。本当にこれが最後になるのかどうかはわからないが、企画を立ててくれたクラスメート(富士山へのバスが出る新宿駅ですでに靴擦れを起こしていた哀れな男)には感謝をしたい。
追記:唯一心残りがあるとすれば、思ったほど、いろんなことを話すことができなかったな、ということである。余裕がなかったのだ(笑)。

最後の思い出、といっても実は参加したのは男子だけ。なぜなら、富士山は日本三霊山のひとつであり、寛永12年まで、女人禁制の山だったからである・・・というのは嘘で、これは単に発案者(僕ではない)の人望によるところである。
仲間内に、何度も富士に登ったことのある猛者がいたために実現可能となった今回の企画であるが、僕にとってははじめての富士登山となった。
初めての富士登山の感想は、簡単に言えば、「しんどい」だった。より厳密に言うと、「想像以上にしんどい」である。
これまで、僕は富士山の登ることが、それほど大変なことだとは思っていなかった。アウトドアショップでは、「軽登山」の部類に分けられているし、ツアーがいくつも組まれている。それに子どもでも登頂できるという話もしばしば耳にする。そのため、僕は富士山を、まあ気楽に登れる山だろうと思い込んでいたのである。
しかし、実際は違った。富士登山は、大変な苦痛を登山者に強いる厳しいものであった。
足場の悪い岩場と、ときに四つんばいにならなくてはいけないほどの急峻な上り坂。それが5合目から頂上にかけて、高さ1400mに渡って続くのだ。おまけに空気はとても薄い。7合目あたりから悲鳴をあげ始めた足と肺と心臓は、頂上にたどり着くまで、途切れることなく叫び続けていた。途中で足を攣らなかったのは奇跡だと思う。
しかし、なにより厳しかったのは、寒さであった。
標高3773mの富士山は、地上に比べてぐっと気温が低く、我々が登っていた夜間には、6度程度にまで低下するのだそうである。この寒さが、もっとも強烈に、我々の体に襲い掛かった。歩いているときはそれほどでもないが、休憩のため立ち止まると、あっという間に体が冷えていく。山頂にいくほど強く吹きつける風が、体温の低下に一層の拍車をかける。(冬用の衣服を着ているにもかかわらず)10分ほどじっとしているだけで、歯の根が合わずガチガチ音を立てるようになるほどであった。
寒さは、ただ体温を奪うだけではなかった。体温が下がると、発熱のために余計にエネルギーが使われる。また、体が思うように動かないため、変な風に力を使って体力を消耗する。気温が低いというだけで、疲労の蓄積するスピードが一挙に高まるのだ。ただでさえしんどい富士登山は、寒さによって一層厳しいものに変わるのだった。
途中で、何度くじけそうになったことか。夜10時の登山開始から7時間をかけ、頂上にたどり着いたときには、我々は(少なくとも僕は)ほぼ満身創痍と言ってもいいくらいの有様になっていた。山頂で御来光を待つ間、僕は「二度と来るものか、二度と来るものか」と、恨みの言葉を吐き続けていた。
だが、山頂で与えられた褒賞は、その苦行を帳消しにしてなお余りあるほどのものであった。
直前で立ち込め始めた靄を心配しながら待った御来光は、実に美しかった。雲海を抜け、黄金色の輝く太陽が顔をのぞかせた瞬間、すべての苦行が報われたような気持ちになった。それは、未だかつて見たことのないほどの、美しい日の出だった。
そして、太陽が引き連れてきた朝は、夜の間、闇の中に身を潜めていた鮮やかな色彩を、我々の眼前に引き出してくれた。眼下に広がる雲海と、その下に茂る樹海。透きとおった空の青と、燃えるような山肌の赤。様々な色が重なり合って作り出された壮大な景観は、見るものを一瞬にして魅了した。
陽が登る直前まで、そこに来たことを後悔していたはずの僕は、これらの光景を目にした瞬間、「来てよかった」と心から思ったのだった。
苦労の末に、幸福を掴んだこの登山は、確かに、またとないよい思い出として、僕の胸に刻みつけられたと言える。本当にこれが最後になるのかどうかはわからないが、企画を立ててくれたクラスメート(富士山へのバスが出る新宿駅ですでに靴擦れを起こしていた哀れな男)には感謝をしたい。
追記:唯一心残りがあるとすれば、思ったほど、いろんなことを話すことができなかったな、ということである。余裕がなかったのだ(笑)。

2008.08.21











